今回ご紹介するのは、キリスト教の教父アウレリウス・アウグスティヌス(Aurelius Augustinus, 354-430)の自伝である『告白』(Confessiones, 397)。
アウグスティヌスといえば、五世紀の初頭に書かれた『神の国』(De Civitate Dei)が有名だが、『告白』もまたそれに並んで有名な作品。
この記事では、著者アウグスティヌスについての簡単な紹介と、『告白』の概要についてまとめ、作品を読む際のポイントについて書いていくことにしたい。
著者について

アウグスティヌスはカトリック教会における司教・神学者であり、さらに聖人としてみなされ、その著作によって後世に多大な影響を及ぼした人物。
彼はもともと敬虔な人物ではなく、異端であるマニ教を信奉していたが、回心してキリスト教を受け入れる。『告白』の記述によると、回心前の彼はある女性と同棲して子供をもうけていた。
回心後のアウグスティヌスは、北アフリカにあるヒッポの教会の司祭となり、さらに先に挙げた『神の国』を著した。この作品はちなみに、410年の西ゴート族によるローマ侵攻を受けて成立したもの。
あらすじ

作品の前半では主に、アウグスティヌスが自らの生涯を回想し、キリスト教に出会うまで罪深い状態にあったことや、マニ教に関心を寄せていた頃のことが語られる。
回心を経たあとの壮年時代についての叙述の中では、神についての真理や、悪の根源、さらには神的なものへの理解が深まっていく様子が描かれる。
作品後半部においては、アウグスティヌスは回想から離れ、神による創造や記憶・時間へと語りの主題は変わっていく。創世記の天地創造を扱った記述を再解釈したのち、その語りは締めくくられる。
Point
あらすじについてざっくりと紹介したあとは、作品を読むうえでのポイントを僕の感想を交えながら紹介していくことにしたい。
回心の軌跡

アウグスティヌスが経験する回心が、この作品の軸であることは明確。ただ、その流れがとても印象的だった。
彼にとっての回心とは、その前後で全く異なる認識が得られるというようなものではなくて、キリスト教への信仰を抱いたのちも、いまだに誤った認識を抱くようなもの。
その回心の軌跡は段階的で、回心が一時的な心の動きではなく、これを観察するためには彼の生涯を全体的に捉えていく必要があるのだろう。
いずれにしても、アウグスティヌスの敬虔さは回心直後に最高度となると考えるのは誤りで、そこには思索のためなどの、一定の準備期間が必要であった。
母の存在

アウグスティヌスにとって、母モニカの存在は極めて重要であった。彼女は息子の回心を心から喜び、さらに彼と同様に聖人として認められた人物だ。
作品のなかば、語り手は母の賞賛すべき点について述べつつ、彼が三十三歳の時に彼女が亡くなるまでのことを叙述していく。それは同時に、神への感謝がともなうもの。
母の死に対するアウグスティヌスの哀しみはあまりに大きいが、亡くなった母のために作中で捧げる祈りによって、これを読む人々がさらに、彼女のために祈りを捧げることを望む。
創世記の解釈

作品の後半では、アウグスティヌスによる時についての議論が始まり、創世記の冒頭が解釈されていく。そこまで読み進めた読者にとって、すこし驚きの展開だ。
これはもちろんアウグスティヌスが聖書の註解を試みているのではなく、訳者の山田が述べているように、自らの理解における限界を告白し、神への感謝を表すもの。
ここで問題となる「知」・「無知」は、訳者によれば『告白』の根幹である「己の善(神のことばに対する知)と悪(無知)について神を賛美する」に通じるため、この点について意識しながら読んでみたい。
さいごに
以上がアウグスティヌスの代表作の一つ『告白』についての簡単な紹介だが、今回手にとった山田訳にはとても豊富な注釈がつけられていて助かった。
また、アウグスティヌス個人の作品だけでなく、彼が影響を与えた神学者らの作品も読み進めていくことができればと考えている。
とりわけクリスチャンである僕にとっては、アウグスティヌスの神学的な理解にふれ、新しい視点を得ることができたように思う。

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