人間の言葉を理解できる猫と聞くと、夏目漱石の『吾輩は猫である』を思い出します。今回ご紹介するのは、この作品にもその名前が記されている、ムルという猫についての物語。
著者のE・T・Aホフマン(Ernst Theodor Amadeus Hoffmann, 1776-1822)はドイツのロマン主義を代表する作家の一人で、僕も昔から馴染みのある人物。
その作風は「黒いロマン主義」と呼ばれるような、「狂気」や「幻想」といったモティーフが多用されるものですが、ムルの物語ではどのように描かれるかを見ていきましょう。
著者について

ロマン主義は大きく分けて前期と盛期(中期)、そして後期に分類されますが、E・T・A ホフマン(Ernst Theodor Amadeus Hoffmann, 1776-1822)は後期を代表する作家。
文学のほか自ら作曲し、絵を描いたほか、法律を修めた彼はベルリンやワルシャワで官吏を務めるなど、非常に多才な人物です。
注目すべきは彼の生活ぶりで、弁護士として勤務する傍ら、勤務後は大量の酒を飲みながら作家として活動するという二重生活を行なっていました。
その代表作は、今回紹介する『雄猫ムルの人生観』のほか、怪奇短編小説集である『夜曲集』(Nachtstücke, 1817)、さらに『スキュデリ嬢』(Das Fräulein von Scuderi)や『くるみ割り人形とねずみの王様』(Nußknacker und Mausekönig)を含むゼラピオンの仲間(Die Serapionsbrüder, 1819)。
作品について

人の言葉がわかるだけでなく、詩作を行うなど知的な雄猫ムルの回想録と、音楽家クライスラーの伝記が一つの作品にあわさったホフマンの長編小説。
物語冒頭の序文では、編集者がどのようにしてこの独特な物語の構成になったかを説明するなど、ホフマンのユーモアが溢れた作品となっています。
雄猫ムルによる回想から物語は始まり、まず彼が目も見えない生まれたての状態でアブラハム先生という人物に拾われ、恋愛や決闘を経験していく様子が描かれます。
この回想は場面ごとに中断され、その間ごとにクライスラーの伝記が挿入されていますが、そこで描かれるアブラハム先生にご注目。
あらすじ
ここからは物語のあらすじを簡単にご紹介しますが、流れをわかりやすくするため、実際には交互に語られるムルの回想とクライスラーの伝記を、二つに分けておきます。
ムルの回想

アブラハム先生に拾われたムルは、この人物が所持していた本を読み始め、次第にペンの持ち方を習得し、詩作に励むようになる。
自らの母と再会し、さらにプードルの友人ポントとの関係を結んだムルは、続いて優美な雌猫ミースミースに恋をし、彼女と結婚することに。
しかし、二匹はミースミースによる他の猫との不倫の末、別の人(猫)生を歩むこととなり、ムルはこの不倫相手との決闘をするに至るが…。
クライスラーの伝記

クライスラーについての物語は、彼とムルを拾ったアブラハム先生との会話から始まる。
このアブラハム先生はかつて奇術師として有名であり、小国を治めるイレーネウス公に招かれ、宮廷で奇術を繰り広げるという過去があった。
ある日、公女のヘドヴィガーと美しいユーリアが散歩していると、彼女らの前にクライスラーが現れる。彼に対して公女はひどく怯えるのだった。
クライスラーは宮廷で楽長を務めるようになり、彼を避けていた公女との関係も回復する。そして彼女は、クライスラーがかつての宮廷画家、レオンハルトに似ていることを打ち明け…
Point
ムルの語り

作品の要となるのは、とりわけ雄猫ムルによって行われる一人称の語り。数多くの知識人による著作から引用を行うなど、彼の知的な様子がその口調からは窺えます。
訳者の鈴木氏も巻末の解説で紹介していますが、ムルがその知識量によって自己満足に陥った人物の典型としての味方もあるのだとか。
たしかにここで、偏った教養人に対するホフマンによる諷刺を認めることも可能かもしれませんが、実際にはより深みのある意味がそこにあると鈴木氏は述べます。
ムルの引用は「本歌どりめいた優雅な知的遊戯」、さらにはその引用が「独創性とは何か」という問題と関わるという鈴木氏の見方は、物語を読むうえでとても重要なものでしょう。
狂気
全体としては、ほのぼのとした雰囲気の中で進行するムルの回想。ですが、すでにご紹介したように、本来ホフマンの作風を特徴づけるのは「黒いロマン主義」と呼ばれるもの。
作中で描かれる公女ヘドヴィガーの精神的に逸した様子などは、ホフマンの真骨頂らしい印象を与えます。そして注目しておきたいのが、次のホフマン自身による画。

こちらは熱狂の中で踊るクライスラーを描いたもので、彼もまた狂気に近い人物として登場するのです。もちろん、この場合の狂気とは公女の病的なものとは異なるもの。
ホフマンが音楽や詩作に向ける、芸術に対する熱狂が、クライスラーを通してどのように表れるかを考えながら読むと、より物語の深みが増すことでしょう。
さいごに
今回は、ロマン主義を代表する詩人E・T・Aホフマンによる『雄猫ムルの人生観』についてご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。
冒頭で書いたこととも関係するのですが、『吾輩』の著者である夏目漱石とホフマンは、それぞれ飼い猫がいたようです。
愛猫をモデルにしている点で共通するのですが、それぞれの描かれ方には大きな違いがあります。この二匹の猫を比べながら読んでみるのも面白いかもしれませんね。

ぜひご一読ください。



