『若きウェルテルの悩み』(1774)などの作者として知られるヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749-1842)。
詩人・劇作家として活躍した彼は、芸術や自然科学などの幅広い分野に関する知識を持っていた。
1776年にヴァイマルに移り住んだゲーテ は、劇作家フリードリヒ・フォン・シラー(1795-1805)と共に様々な活動を進めていく。
そんなゲーテ の代表作品は、『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』(1796)や、晩年になってようやく発表した『ファウスト』(1831)。
そんな彼の生涯について、これから前半と後半に分けて見ていくことにする。
ゲーテの生涯 前編
少年時代と初恋

1749年にドイツ・フランクフルトに生まれたゲーテ は、幼少期から読書好き。
彼が読んだ本の中には、『ロビンソン・クルーソー』や『ファウスト』のモデルとなった『民衆本ファウスト』などが含まれていた。
ゲーテは少年時代から英語やフランス語のみならず、ラテン語やイタリア語、さらにはギリシア語やヘブライ語までも習得していたというから驚き!
14歳にして初恋を経験するが、そのお相手は年上のグレートヒェンという娘だった。彼女に対する想いは実らず、その名は後の『ファウスト』のヒロインの名として用いられることに。
第一部と第二部からなる長編の戯曲作品。第一部ではファウストが悪魔メフィストと出会って快楽のために契約を結び、グレートヒェンとの恋のなかで悲惨な状況に陥る。これに続く第二部では、メフィストと共にギリシア神話の世界に旅立ったファウストが、現実世界に帰るも…
学生時代

失恋後にゲーテは父の意向によりライプツィヒ大学の法学部に入学するも、勉学を怠りだすのだった。
だが、この期間がゲーテにもたらしたものは大きく、画家アダム・フリードリヒ・エーザーとの出会いはゲーテの芸術理解に貢献。
結局、数年通ったライプツィヒ大学を退学することとなったゲーテは、現在のストラスブール大学に入学。文学運動シュトゥルム・ウント・ドラングの立役者、ヘルダーとの交友関係を築くことに。
フリーデリケとの出会い

ヘルダーのもとでゲーテは以後の創作活動の下地を作っていくなか、彼はフリーデリケ・ブリオンと出会う。
ゲーテは結局、彼女のもとを去ることになるが、彼女との恋愛は『野ばら』などの叙情詩を生み出すことに。結婚を願うフリーデリケを振り切るゲーテの苦しみは、なかなかのものだったらしい。
この経験はのちにゲーテが『ファウスト』の中で「グレートヒェンの悲劇」として実を結ぶ。その中では、メフィストの力を借りたファウストとグレートヒェンの恋が、悲劇的な形で崩れていくことに。
『ゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲン』の完成

学業を終えてフランクフルトに戻ってきたゲーテは、弁護士職に就くものの、彼の関心は常に文学活動に向けられる。
1773年にゲーテ は、実在した盗賊騎士ゲッツを題材にした戯曲『ゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲン』を発表。この作品はシュトゥルム・ウント・ドラングを代表する戯曲のひとつ。
歴史上の人物である盗賊騎士ゲッツが主人公として登場し、さまざまな試練を経て獄中で死ぬまでが描かれます。ゲッツが「Leck mich am Arsch!」(直訳は俺の尻をなめろ!)と叫ぶシーンは有名。
シュトゥルム・ウント・ドラングとは、1767年から1785年にかけての文学運動のこと。自由の抑圧などに対する反抗精神や、「天才」や「感情」といった概念が重要視されました。
シャルロッテへの恋と『若きウェルテルの悩み』

ヴェツラーでの生活のなかで、ゲーテはシャルロッテ・ブフに対して恋心を抱くが、不幸なことに、彼女にはすでに婚約者が。
ゲーテの熱烈な求愛が功を奏することはなく、彼は失意のなかでシャルロッテのもとを去っていくことに。この彼の経験はのちに代表作『若きウェルテルの悩み』へと結実する。
ちなみにこの二人の恋は、『ゲーテの恋 君に捧ぐ若きウェルテルの悩み』という映画の主題として取り上げられ、2011年に放映された。
おわりに
ここまで見てきたように、ゲーテが経験した数々の恋愛は、彼本人や彼の作品を語るうえでとても重要なもの。
『若きウェルテルの悩み』はまさに、彼の恋愛経験が十分に活かされている作品の一つ。このBlogの中でも、近々紹介していく予定だ。
僕がドイツ文学を本格的に学び始め、まず最初に出会ったのがゲーテ。それ以来、彼の作品の奥深さにはいつも驚かされている。

