【聖書】『サムエル記』〜ダビデとその生涯をめぐる物語〜

ハープを弾くダビデ王 画: Gerard van Honthorst: King David Playing the Harp (1622)

世界一のベストセラーとして名高い聖書。それでも、日本では馴染みのないキリスト教の聖典は、やはり近寄り難い気もする。

僕自身、クリスチャンとして育ってきているため、聖書を読むことに抵抗はないが、普通の小説として読むことはできない。それくらい特殊だ。

今回はそんな聖書の、『サムエル記』をご紹介したい。もし少し聖書に通じている人なら、『創世記』や『福音書』から始めるだろうと思うだろうが、これらはまた後ほど紹介する。

それではさっそく、基本的なデータから見ていくことにしよう。

Contents

サムエル記について

サムエル記の開始部分の写本

サウルやダビデの物語が収録されたサムエル記は、上・下に別れており、もともとヘブライ語で書かれた正典では一巻の書物であった。

聖書の「七十人訳」と呼ばれる訳や、ラテン語訳(ウルガタ版とも)の影響のもと、16世紀からは上下巻で区分されていったようである。

古代イスラエルにて王政が導入されてから、前1050年から前1000年ごろまでの出来事が中心となるが、預言者サムエルの生涯から始まり、ダビデの王位継承が語られる。

あらすじ

上下巻に分かれたサムエルを手みじかに概観するのは難しいが、なるべくざっくりと見ていこう。

サムエル

幼少期に召命を受けるサムエル 画:Joshua Reynolds

不妊の女性ハンナはサムエルを懐妊する。サムエルは少年時代、神から3度語りかけられ、預言者としての召命を受ける。

続いてイスラエルより遥かに優れた軍事力を持つペリシテ人との戦いが描かれる。これはペリシテ人による「神の箱」略奪を契機としたもの。イスラエルの敗戦は祭司家の堕落の結果として示される。

再び物語はサムエルを中心に進み始め、指導者としての彼の姿が描かれる。サムエルが老いると、美しいサウルに油を注がれて王となる。彼はイスラエル史上初の王であった。

サウルとダビデ

ゴリヤテの首を持つダビデ(ゴリヤテ部分は自主規制) 
画: Caravaggio: David mit dem Kopf Goliaths (1608/07).

戦いにおいてカリスマ的な指導者として活躍するサウルであるが、神の命に従わなかったためにサムエルと対立し、さらに神は彼が王位から退くことを望んだ。

その一方で、サウルに代わる人物としてダビデが登場する。武術や教養に優れた彼は、サウルに仕え始め、のちにかの有名なゴリヤテとの戦いでの勝利をおさめる。

多くの功績を挙げるダビデに対し、次第にサウルの嫉妬心を燃やして彼を殺そうとする。ダビデはサウルの息子ヨナタンの助けを借りて逃亡するが、その後もサウルはダビデに幾度も接近する。

さらに、ペリシテ人との最終決戦が語られるが、イスラエルはこの戦いで敗北し、サウルの三人の息子は戦士し、サウル自身も自ら剣を取り、その上に倒れて命を捨てる。

王ダビデ

画:Johann Friedrich Glocker: König David (1754)

南部ユダ族の王となったダビデは、サウルの息子イシュ・ボシェトが治めるイスラエルとの間で対立していたが、最終的にユダとイスラエルはダビデの支配下に置かれることとなる。

ペリシテ人を倒すなどの成果を上げるダビデだが、部下ウリヤの妻バテ・シェバの美しさに魅了され、ウリヤを前線に送り込み戦死させる。預言者ナタンの叱責を受けたダビデは、その行為を悔い神に赦しを乞う。

のちにダビデの子アブサロムは反乱を起こし、結果その命を落とす。これを悲しんだダビデは、アブサロムを失って再びダビデに忠誠を抱こうとするエルサレムへと帰還するのだった。

Point

ダビデの生涯

ダビデとバテ・シェバ
画: Jan Massys: David und Bathseba (1562)

ここまでのあらすじから分かるように、サムエル記の中心人物はなんといってもダビデ。題名のサムエル自身が登場する箇所は全体からするとかなり少ない。

ダビデ像から彼の名前を知っている人はいたとしても、なかなかその生涯について詳しく把握している人は少ないだろう。そして、彼がどのような歴史的人物だったかを物語るのが、このサムエル記だ。

サウルのダビデへの嫉妬や殺意、ゴリヤテに対する勝利、そして王位の継承、さらにはウリヤの妻バテ・シェバをめぐる彼の罪。それらのエピソードは、彼が優れた人物でありながらも、人間的な弱さを抱えていることを示している。

聖書には150編からなる詩篇があり、これもその多くがダビデの手によるものとされている。さらに新約聖書のキリスト・イエスは、預言通りダビデの子孫から誕生する。聖書にとって重要な立ち位置にいる彼の生涯を、サムエル記から学んでおくのは有益だろう。

サウルの狂気

ダビデを槍で殺そうとするサウル 画:José Leonardo

個人的に強く印象に残ったのは、ダビデに嫉妬心を燃やし彼の命を狙い続けるサウルの様子。あらすじでも書いたように、彼自身も美しく、そして有能な人物であった。

それでは、このような人物をそこまで駆り立て、追い詰めたのは何なのだろうか。もちろん、かつてのサウル自身の業績が、女たちが歌う次の歌によって否定されてしまったことも要因だろう。

「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った。」

新改訳聖書: サムエル記 I 18:7, いのちのことば社

若く優れたダビデに対する、サウルの不満は強かったことは事実。しかし、彼の行動には実はわざわいをもたらす「神の霊」が働いており、サウルはそのため半狂乱の状態であった。

サウルの不従順のために、神は彼を王にしたことを悔やんでいた。万能であるはずの神が、彼をあえて王にした理由について問いが生まれるかもしれないが、このように聖書には神の後悔を描く箇所が多くある。

この点について書くと長くなるので深く立ち入らないが、神はサウルを王に立てて、その行動が神の意向に叶うものとなるかを試していたというのが僕の見解だ。

いずれにせよ、すでにサウルからは神は離れており、その行動は単なる嫉妬心から来るものではなく、神による働きかけがあった点が興味深い。

さいごに

ここまで、サムエル記について大まかに書いてきたが、いかがだっただろうか。

聖書に馴染みのない方にとって、あまりにも唐突な内容が多くなってしまった気がする。それでも、ダビデという人物にほんの少しは関心をもっていただけたのではないだろうか。

次回はぜひ、キリスト教にとって最も重要となる人物、イエス・キリストの生涯を扱った「福音書」と呼ばれる箇所について紹介したい。

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この記事を書いた人

ドイツの大学院にて文学研究中。ドイツ文学を中心に、主要な作家・作品についての記事を書いています。

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