【聖書】『マタイの福音書』〜キリストの受難と復活!〜

聖書の福音書では、キリストの生涯が描かれているね!

今回はキリスト教の軸ともいうべき福音書について見ていこう。

新約聖書を開くと、まず初めにあるのが『マタイの福音書』。その中ではキリストの誕生から、その死と復活までが語られる。

ここでは、この福音書のあらすじを紹介するとともに、読むうえでのポイントについてご紹介することとしたい。

Contents

福音書とは?

聖書には合わせて4つの福音書が収録されているが、そのどれもがキリスト・イェスが何を行い、何を語ったか、そしてどのように死んでいったかを物語る。

成立した時期が最も早いのが『マルコの福音書』、そしてこれを資料としたのが『ルカの福音書』ならびに今回紹介する『マタイの福音書』。

そして、最後に書かれたとされる『ヨハネの福音書』は、他の福音書と比べて内容的に大きな違いがある。この点についても、いずれ記事にしたい。

ちなみに、この「福音」という語は、「よきおとずれ」という意味。これはつまり、イェスの死と復活を通して神の救いのわざが告知されることを示す。

マタイの福音書とは?

古代教会の伝承では、イェスに従った12人の使徒に属する徴税人マタイによって書かれたとされているが、多くの注解者はこの福音書がマタイによるものではないと説明している。

他の福音書と同様にイェスの生涯を伝える書物だが、その中心はやはりイェスの教え。イェス復活後の弟子の教会への教えを整える役割もこの福音書は果たした。

そして、西暦70年のエルサレム陥落の影響が認められる箇所や、キリスト教会への迫害の激化が本書に見られることから、1世紀末に近い80年代に成立したようだ。

内容と構成

マタイの福音書は合計28の章から構成されていて、その内容は大きく5つに分けることができる。

ここでは、この5つの大きなまとまりに沿って簡単に見ていくことにしよう。

1章 〜 4章16節 イェスの幼年期、公生涯の準備

イェス・キリストの系図が説明されたのち、彼の誕生についてが描かれる。エルサレムの王ヘロデは幼子イェスを殺そうとするが、父ヨセフと母マリヤはガリラヤのナザレに逃れる。

クリスマスはベツレヘムでイェスが誕生したことを祝うものなので、ここで登場するヨセフやマリヤ、そして東方の博士についてのエピソードを知る人は多いだろう。

バプテスマのヨハネから洗礼を受けたイェスは、悪魔の試みを受けるために荒野にむかう。40日40夜の断食の後、悪魔の誘惑を退けるイェスだが、この時点から彼の宣教は始まる。

4章17節 〜 16章20節 イェスのガリラヤでの活動

山に登り、イェスは人々に教えを与える。山を下ると、ツァラアト(らい病)に冒された者や、悪霊に憑かれた者たちを癒し、不思議なわざを人々に見せていくのだった。

イェスは12人の弟子に対して宣教のための注意を与えるが、彼らの中に後にイェスを裏切るユダが含まれていた。

たとえ話を用いて群衆に教えを広めるイェス。ファリサイ派(ユダヤ教の主流グループ)の人々は彼を神に対する冒涜者とみなし、イェスと度々議論を繰り広げる。

16章21節 〜 18章 ガリラヤでの弟子たちとの時間

イェスはシモンに対してペテロの名と、天の御国の鍵を与え、弟子たちに地上の教会を建てるように伝える。

そしてイェスはペテロとヤコブ、ヨハネを連れて山上に登り、はるか昔にこの世を去ったはずのモーセエリヤと会話している様子を見せる。

モーセは出エジプト記にて十戒を神から授けられたイスラエル民族の指導者であり、エリヤは旧約聖書に登場する代表的な預言者であった。

19章 〜 25章 イェルサレムにおける活動

イェスは弟子たちに天の御国について喩えを用いて説明し、ロバを用意させてイェルサレムに入城する。

そこでイェスは群衆の前で語り、律法学者やファリサイ人らはイェスを試そうとして議論を持ちかけるも、逆に論破されてしまうのだった。

このように、イェルサレムに来てからイェスはユダヤ教指導層との論争を重ねていくが、その期間はわずか一週間ほどであったようだ。

26章 〜 28章 イェスの死と復活

弟子の一人であるユダは祭司長たちのもとに行き、銀貨三十枚と引き換えにイェスを売り渡す約束を結ぶ。

その後にイェスは12人の弟子らと食事をするが、これがよく知られる「最後の晩餐」。まもなくイェスは捕らえられ、彼は議会にて神を冒涜した罪により死刑を言い渡される。

十字架につけられ命を落とすイェスだが、3日目に復活したのち、弟子たちにあらゆる国の人々に福音を述べ伝えるよう命じる。

Point

マタイの福音書だけでなく、他の福音書でも言えることだが、やはりこれらの中で最も重要な意味を持つのはイェスの受難と復活についての描写だろう。

弟子の一人であるユダに裏切られ、最高法院では神を冒涜する偽預言者ならびに反ローマの煽動者として、侮辱・暴行されたうえ、残忍さゆえ重罰とされる十字架につけられる。

人々を罪から救うために、イェスは十字架にかけられたよ。

幼い頃から聖書に親しむ僕でさえ、心穏やかに読むことのできない箇所であるが、まさにこの受難とそれに続く復活を通して、神の計画が成就するという逆転のプロセスは印象的。

さいごに

ここまで『マタイの福音書』に焦点を当てて書いてきたが、次回の福音書関連の記事では、『マタイ』との相違点についても着目してみたい。

このBlogの性質上、やはり文学として聖書を見た場合の点についてなども今後は扱うことができればと考えている。

また、今回の記事を通して聖書に少しでも関心を持ってくださった方は、聖書と並行してぜひ簡単な入門書なども手に取ってみるといい。

ぜひ読んでみてね!

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この記事を書いた人

ドイツ語講師を務めながら、ドイツ中世からバロックの文学研究中。主要な作家・作品についての記事を書いています。

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