日本文学についての導入を始める前に、次の問いについて考えてみたい。
「日本文学」とはなんだろうか。
多くの方はきっと、なんとなく日本で書かれた小説などを連想するだろう。しかし、日本の「文学」について具体的なイメージを持つことは難しいに違いない。
今回は「日本文学」について、よりしっかりとした理解を得るために、日本文学の特徴や代表的な作品ジャンルについて確認していきたい。
それでは早速、日本のテクスト文化の旅へと出発することにしよう。
日本文学とは?

最初の問いに戻ってみよう。僕自身が日本文学とは何か尋ねられたら、すぐに「日本語で書かれた文学」と答えるだろう。
当然のように聞こえるかもしれないが、この答えではまだまだ不十分だ。(この流れはちなみに、以前書いた「ドイツ文学とは何か?」の冒頭と同じだ。)
多和田葉子のように、日本語やドイツ語で書くなど、外国語作品も著す作家は多くいる。もし彼らが外国語で小説を書いたなら、これらは日本文学ではありえないだろうか。
そしてその際、僕らは日本文学の伝統について考えなければならない。
僕らの文字文化は長いこと、中国文化に強く影響され続けてきた。漢文や漢詩などは、その影響が結実したものだろう。
そのため日本文学の定義を、日本語で書かれていることに限定することはできない。漢文や漢詩は、日本文学にとって欠かせないものだ。
日本文学のジャンル
続いて、日本の文学を考えるうえで代表的な三つのジャンル、「詩」・「劇」・「小説」について確認しておきたい。1
「詩」

詩の技術が日本で完成されつつあったのは、9世紀から11世紀にかけてであり、その中で詩は貴族たちの間で特別な意味を持っていた。
宮廷での恋愛は主に、詩を通してなされていたのである。今の感覚からは程遠いが、宮廷の女性は公認の夫以外に顔を見せることがタブーであった。
日本の詩の特徴はまず、細部まで完璧であることが望まれていること。さらに意味において高度に圧縮されているため、小規模でも十分にその内にある世界を表現可能な点だ。
有名な詩の形式として、連歌と俳句が挙げられるが、これらについても少し説明をしておきたい。
連歌はその名の通り、一つの歌を複数の人が交互に作っていくもので、俳句は連歌の発句を独立した一句にすることから生まれた。
連歌はつまり俳句のもとの形式だった。そして、俳句が日本人に広く愛されるようになると、連歌への注目は薄れていってしまったようだ。
一茶(1763-1827)は最も有名な日本の詩人のうちの一人であるが、彼は連歌ではなく、俳句を作ることに専念していたという。
「劇」

日本の演劇には、「能」・「人形芝居」・「歌舞伎」・「新劇」という大きく分けて四つの種類がある。ここでは、そのうちの能と人形芝居について紹介しておく。
能は観阿彌清次(1333-84)とその子の世阿彌元清(1363-1443)によって完成され、主役の「シテ」とその相手役の「ワキ」を中心として進行する。
能の特徴の一つとして「能面」と呼ばれる仮面が用いられることが挙げられ、さらに厳粛な調子で曲が進むが、番組の間に狂言を演じる習慣が生まれた。
人形芝居については、「浄瑠璃」のことについて触れておきたい。「太夫」と呼ばれる役柄が語り手として詞を歌い、さらに三味線の伴奏とともにからくり人形が演じるのが人形浄瑠璃だ。
海外の人形芝居と比較して、日本でのそれは遥かに高度で芸術性の高いものだった。日本最大の劇作家、近松門左衛門(1653-1724) は自らの有名な舞台作品は全て人形芝居の形式で書いたそうだ。
近松の代表作は『国政爺合戦』で、大阪で行われた初興行の17ヶ月間に24万人もの観衆が集まったという。当時の大阪の人口が30万人ほどであったことを考えれば、驚異的な数字だ。
「小説」

長い伝統を持つ小説は、その成立を(散文・一定の分量があることを小説の条件とすれば)10世紀ごろの物語に認めることができる。
そして在原業平の作と考えられている、10世紀に成立した『伊勢物語』は、125の挿話からなるもので、その各々の中心には歌がある。しかしそこにある散文には挿話ごとの繋がりがないため、統一は欠ける。
そうした背景のもと1000年ごろに紫式部(975?-1025?)の手によって書かれた『源氏物語』は、大規模作品でありながら、『伊勢物語』や初期の小説の一つである『宇津保物語』とは対照的に、その構成は優れたものである。
美しい光源氏の恋愛遍歴とその生涯、ならびに彼の子孫の恋愛模様を描く『源氏物語』は、退廃の気配を見せる宮廷を舞台としており、儚く過ぎ去る時の流れを感じさせる。
武士や戦を中心とする時代を経て17世紀になると、井原西鶴(1642-93)が『好色一代男』を著して好評を得る。さらに中国の小説翻訳を手がけ、『南総里見八犬伝』の著者として知られる曲亭馬琴(1767-1848)の名もここで挙げておく。
19世紀の後半には、日本の小説は西洋の影響を強く受け始める。坪内逍遥(1859-1935)は『小説神髄』を通して従来の日本文学のあり方を批判し、欧米における文学への見方を推奨した。
さいごに
ここまで見てきた作品ジャンルは狭い時代区分のものであるし、あるいは各々についての情報が少なすぎるために、日本文学に対する具体的なイメージを持たせるのには至らないだろう。
日本文学編への導入を書きたいという思いもあり、ごく簡単にまとめてみた。それぞれのジャンル、特に小説については作家や時代ごとにより詳しい記事を書いていきたい。
- なおここでは、日本文学研究の第一人者ドナルド・キーンの著作、『日本の文学』を参考にしながら紹介していく。ドナルド・キーン(吉田健一訳): 『日本の文学』、中公文庫、2020 ↩︎